オオサカジン

日記/一般 日記/一般   | 京都府

新規登録ログインヘルプ


2013年02月07日

体罰についての議論

大阪市の市立桜宮高校で起きた体罰による生徒の自殺、大きな社会問題として連日マスコミや新聞記事で議論されています。その後オリンピックの女子柔道でも体罰が明るみにで、桜宮高校意外の学校でも体罰があったことが雨後のタケノコの如く次々と発覚しています。そし今回の桜宮高校の生徒の自殺がなければ、スポーツにおける体罰はクローズアップされることなく、続いていたのではないでしょうか。私は体罰は暴力であり、スポーツにおいて決してやってはいけない事だと考えます。スポーツを指導する立場の者が体罰について俗に言うスポーツマン精神と混同していたのであれば、指導者としては失格です。先日元プロ野球巨人の桑田真澄さんがTVでおっしゃていました。体罰を与えることによりスポーツの技術が向上したり、精神的に強くなることはないと断言されていました。体罰は暴力であり、いじめに近い行為だと思います。学校で行うスポーツの部活動はあくまでも教育の一環であります。悪しきことは即止めるべきであり議論の余地はありません。今回の体罰問題で一番みんなが考えなければいけないことは教師の体罰によって高校生の尊い命が失われてしまったことです。社会のルール自体についての見直しが議論されるべきだと思います。いじめも同様です。人に危害を加える行為は犯罪です。悪い事はやっていけないことであり、国がルールを決めて根絶しないと世の中の環境はいつまで経つてもよくなりません。


Posted by フェラリーの翼 at 03:32│Comments(1)
この記事へのコメント
「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
当人は、やけっぱちになっている。

日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この世俗的な上下感が日本人の判断を狂わせている。

下と見られたものは、上からの暴力に抗することも難しい。無防備状態になる。
上の者の声は、天の声のように聞こえるからである。

「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
暴力は、「がんばって」の掛け声のようなものか。

序列に基づく精神力で、大東亜戦争は勝てるのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
Posted by noga at 2013年02月12日 04:48
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。