オオサカジン

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Posted by オオサカジン運営事務局 at

2009年12月19日

禅修行に見る「時間」とは何か。

年の瀬になると口癖で「1年経つのは早いなぁ」とつい口に出てしまう?貴方もですか。                           光陰矢のごとし と言いますが、何かに没等していると時間は早く感じますよね。私たち人間にとつて時間をとても大切なものです。そして私達は人生という時間を与えられて生まれ自由に時間を使う権利を持っているのです。吉田兼好の「徒然草」の中に「命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや」と兼好は書いてますように、人の一生はかげろうや蝉の短い命と比べればまことにのんびりしたものだ。禅宗の修行で「時間」と向き合う「座禅」、この座禅について銀閣寺の執事長である平塚景堂師は、座禅は、時間というものが人間から離れて勝手に流れゆくのを阻止するを力を養うものであろう。そして時間は、私たち人間の存在そのものであり、日々の暮らしの質のことであると言っておられます。さらに師は、わたしたちが自分を見つめることなしに、目の前にある欲求を満たすのみの空疎な生活をするなら、時間はわたしたちと無縁のところを矢のように通りすぎてゆくでのである。人はつい楽な方へと流れる。それは今日を生きることではなく自分を無制限に先送りすることである。そこに真に生きた時間はないと説いておられます。                                                                                     


Posted by フェラリーの翼 at 00:43Comments(0)